independent tokyo 2021
展示によせて。
「 "変わらないもの" などは無い。 」
人はなぜ、共有したがるのか。
それは、私という存在が不確かで変わるものだからである。
変わると言うのはどういうことか。
それは、死ぬと言うことである。
この世に生まれた命は、
確実に死に向かうのである。
不確実なことが多いこの世の中において、
死ぬと言う事だけは確実なのである。
私たちは不確実なものを嫌うが、
確実である"死"と言うものはそれ以上に嫌いなのであり、この矛盾は、
"人がいかに自分勝手か" を、表している。
特に未来と言う不確かなものには、
ことさら不安を感じるのが私たちである。
だから私たちは、SNSなどを通じて、
自らを情報化するのである。
情報と言うのは、
私たちからアウトプットされたもの、
例えば、文字や芸術もその一つである。
現代に生きる作家の作品よりも、
過去の作家の作品が大切にされるのも、
私たちの、"変わらないものを信じたい"
と、いう欲求に合致するからである。
だが実際には、昔のアートも、
実物は変わり続けているのである。
若者のみならず、
50代60代もSNSに依存するのは、
簡単に私たち自身を情報化、数値化でき、
"私たちは変わらない存在である"
と、信じられるからであろうが、
言うまでもなく、それらは全て幻想なのである。
だから、芸術も変わるのである。
が、それを認める事は至難である。
例えば、
アーティストが複数の作風の絵を1つの会場に展示すると、観客は混乱する。
なぜ混乱するかと言えば、
確実性が感じられないからである。
「この人はどういう人なのか?」
掴めないからである。
人は刻一刻と細胞が生まれ変わり、
身の回りのものについても、
昨日と同じものは何一つとしてないのである。
だが我々は、
「今朝起きた私は、昨日の夜に寝た私と同じ私だ。」
と、信じてやまない。
私は今回、
私自身の変化に向き合ったここ数ヶ月間の私の変容の様子を、作品を通して皆さんにお見せしたいと思っている。
そして3面ある壁には、それぞれ違う作家が書いたような作品が並んでいる。
これは、作家を1つの"情報"として捉えるのではなく、「"個"として捉えて頂けるか。」の実験でもある。
ご覧頂く皆様との出会いも、私に一つの変化をもたらす物として、とても感謝しています。
"変わる" とは、
必然であり、当然であり、偶然でもあり、
私たちが春の桜を、秋の紅葉を愛しむように、
ごく自然な、人の美しさである。
2021.7.30 熊谷晴子